読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

K.T.C.C

映画とか洋ゲーの冒険記です。大体端書。

ゴジラ(1954年) 感想・考察

 

ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】 [Blu-ray]

ゴジラ(昭和29年度作品)【60周年記念版】 [Blu-ray]

 

 

f:id:T_TAPER:20140728212432j:plain

冒頭の太鼓とゴジラの咆哮から始まる、異様な雰囲気のクレジットロール。凄まじい緊張感が走る。

 

 

98点

 ハリウッドゴジラの予習として初めてオリジナルのゴジラを見ました。

予想に反し、あまりにも内容が凄まじかったのでレポート書きました。

 

 

  • 映画『ゴジラ』について

 『ゴジラ』は1954年(昭和2911)に東宝から公開された特撮映画である。監督は本多猪四郎が務め、特撮監督を円谷英二が担当した。本作は終戦後に公開された邦画の中でも特に興行収入が多かった作品であり、東宝最初期の大ヒット映画でもあった。当時としては破格の7000万円という非常に高額な予算を付けられていたが、製作期間は半年もないほど短いものだった。またスタッフも終戦直後ということもあり、未経験者が多い現場だったとされている。

 

作品の企画自体は、アメリカの映画『原子怪獣現わる』(1953)と『キングコング』(1933)から生まれていると言われている*1。これに1954年に行われたビキニ環礁水爆実験や第五福竜丸事件の要素が加わり、本多・円谷両監督の反戦思想などど合致して作品は誕生する。

 

 

 映画そのものは、スタンダードサイズの白黒映画であり、上映時間は90分弱である。しかしながら東宝に所属する円谷英二特技監督の、当時日本最先端の特撮技術や撮影技術が惜しみなく使われた、間違いなく1950年代前半では最高レベルの作品であった。遠く人知の及ばない地で怪獣が出現し、大都会の人間社会を破壊し尽くした後、大きな犠牲を払いつつも辛うじて人類によって撃退されるという、日本怪獣映画の基本的な諸要素を全て内包するプロトタイプという作品ということから、1作目から極めて高度な脚本・制作がなされていた事も伺える。制作技術に関しても、白黒映画としては高度な合成を可能とするオプティカルプリンターが用いられるなど非常に野心的なものとなっている。特筆すべきは巨大予算に支えられた特撮用のミニチュアセットであり、主な舞台となる銀座や日本橋は非常に精巧に再現されている。これらの技術的挑戦が、その後の日本特撮を世界最高水準まで押し上げたのである*2

f:id:T_TAPER:20140728212430j:plain

 初めてのゴジラ登場は完全な合成。かなり自然に思える。

 

 

  • 公開当時の社会状況

 ゴジラの持つ「社会性」を考察するにあたり、公開された年である1954年を中心に当時の社会状況を振り返ってみたい。1954年は日本にとっても社会にとっても非常に重要な年であった。日本では、3月にアメリカの水爆実験による第五福竜丸事件が発生している。7月には警察予備隊が正式に自衛隊へと改編され、防衛庁が発足している。一方の世界情勢は、アメリカとソ連の間の冷戦が激化しており、核開発競争や水面下での宇宙開発競争がまさに始まろうとしていた時代である。

 無論、第二次世界大戦の影響が色濃く残っており、日本は1952年のサンフランシスコ講和条約でやっと独立を果たしたばかりであった。依然として吉田茂が首相であり、シベリア抑留の日本兵などが大勢いた時代である。それでも、戦後復興にむけて一歩ずつ歩みだした時代でもあり、そのような状況の中『ゴジラ』は公開されたのである。

 自衛隊に関して、作品の中では同年に発足したばかりの陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊が全て出演し、華々しく活躍している。なかでも最新兵器を運用してゴジラに立ち向かう航空自衛隊に、出演者は歓声をあげる。

f:id:T_TAPER:20140728212420j:plain

ゴジラに噴進弾攻撃を加えるF86と思しき機体

f:id:T_TAPER:20140728212418j:plain

勇ましく出動する、敗戦から僅か9年後の日本の戦車。

 

 

 

しかし戦争の記憶が生々しく、従軍経験から反戦の立場をとる本多猪四郎監督にとって、これらの演出には大きな意図が合ったのではないかと考えられる。つまり、今後自衛隊がこのように活動する日が来る、という青写真をここで示したのではないだろうか。はっきりとは反戦の姿勢を見せてはいないが、自衛隊の存在を大衆に知らしめる意図があったと思われる。

f:id:T_TAPER:20140728212427j:plain

 爆雷投下のシーンは帝国海軍の記録映像のようにも見えた。

 

f:id:T_TAPER:20140728212425j:plain

「終わり」「終わり」 。ここは笑った。

 

 

 

 

  • 『ゴジラ』に読み取られる核への恐怖と戦争の記憶

 『ゴジラ』では、作中のいたるところに「核の恐怖」「戦争の恐怖」「人間の愚かさ」といった要素が散りばめられている。冒頭ではあの有名な伊福部昭によるゴジラのテーマソングととも太鼓の音が鳴り響くスタッフロールから始まる異様なものである。その直後、核爆発を思わせる熱線が船上の人々を襲うシーンへと繋がるのである。当時の観客が一瞬で「ピカドンだ」と分かるような演出である。その後、作中で「大戸島」と呼ばれる島で「呉爾羅」と呼ばれる怪物が太古から祀られ、神楽が行われているシーンがあるのだが、ここでエスニックな離島の風俗=ゴジラが、水爆という近代文明を象徴するものによって侵される描写がなされるのである。アメリカの水爆実験は、ゴジラを呼び起し都市を破壊するだけでなく、日本の伝統にまで影響を及ぼしたのである。

 

f:id:T_TAPER:20140728212433j:plain

 冒頭の船上でのシーン。熱とか爆風よりも「光」が異常なほど強調されている。

f:id:T_TAPER:20140728212434j:plain

 呉爾羅の言い伝えを語る老人。ゴジラは民間伝承から知られていた。

f:id:T_TAPER:20140728212435j:plain

 ゴジラの為の神楽。ゴジラは日本の伝統芸能とも深く結びついたものであった。

 

 興味深い事として、作中のある男女の会話として「長崎の原爆で生き残ったのにまた疎開しなくちゃならない〜」というセリフが示すように、「原爆」や「疎開」といった戦時中のフレーズが平然と話されているのである。年代を考えれば何ら不自然ではないが、それでも、想像もつかない恐怖として語られるのではなく、実際に経験済みの恐怖として語られている事に衝撃を受ける。他にも、ゴジラが銀座を火の海にしているシーンは東京大空襲のそれと全く同じ光景であったし、逃げ惑う母子の若い母が幼子に「もうすぐお父さんの所に行くのよ」と、夫の戦死を思わせるセリフを言う様子も描かれている。加えて、ゴジラ襲撃後の東京の病院のシーンではさながら戦時中、特に空襲時や原爆投下後の病院のように混乱している。ここまで執拗に戦時中を想起させるシーンを挿入したことには、核兵器に対する警鐘を鳴らすと共に、薄れゆく戦争の記憶を呼び覚まそうとする意味があったのではないかと考える。

 

f:id:T_TAPER:20140728212421j:plain

長崎の核攻撃から生き延びた女性。妙にしゃあしゃあとしている感じが不気味である。

f:id:T_TAPER:20140728212415j:plain

ゴジラ襲撃時に火に飲まれそうになる親子。東京大空襲の1シーンにしか見えない。

f:id:T_TAPER:20140728212417j:plain

現代社会の象徴でもある電車を完全に破壊するゴジラ。電車嫌いだったのか…

f:id:T_TAPER:20140728212416j:plain

ターミネーターの冒頭のようなシーン。トラウマに近い、『火垂るの墓』のお母さんが蛆だらけで病院で死ぬシーン思い出す。

 

f:id:T_TAPER:20140728212410j:plain

 

正直に言って玉音放送を聴いているようにしか見えなかった。当時の人なら尚更なのでは?

 

 

 また、ゴジラを退治することのできる唯一の方法として「オキシジェン・デストロイヤー」という兵器を用いるのだが、開発者の芹澤博士は自らの命をもってその兵器を使用する。ゴジラを殺すほどの強力な兵器が、今後世界に拡散し悪用されないようにするためだった。この一見すると過剰ともとれる演出には、どんな科学的発見でも直ぐに軍事転用し、自らを苦しめる人類の愚かさに気付いてほしいという意味があるに違いない。本来であれば芹澤博士は死ぬ必要は全くなかったのだが、人類を悲観し、更生することの出来ない愚かな生物と諦めている人物像を描くことで、そこまで我々は愚かだっただろうかと視聴者に問いかける意味があると考えられる。

 このように『ゴジラ』で表明されているメッセージには、簡単に挙げると次の3つがある。①核兵器の恐ろしさ②戦争の記憶③人間の愚かさ、である。

 

 ①では核に対する率直な恐怖、そして環境(ゴジラ)へ与える残酷な影響を表している。放射能がどのような影響があるかもはっきりしない中、核兵器や原子力発電で核を用いることへの純粋な異議申立てを行っているのである。

f:id:T_TAPER:20140728212429j:plain

放射能というワードがかなりの頻度で出てくる。

 

 

 ②は非常に既視感のある要素である。空襲や燃え盛る都市の記憶はまだ多くの人の中に生きていたはずである。この戦争の再現とも取れる演出は、やはり戦争の残酷さを呼び起こすものに他ならない。

f:id:T_TAPER:20140728212419j:plain

 ③今作においてゴジラは純粋な恐怖と描かれているが、ゴジラ自体は水爆の被害者であるということは自明である。そして視聴者の多くがゴジラを哀れに思うのも自然である。ここに、身勝手な行動で自然にダメージを与え、それを自分たちの都合で殺す人間社会のエゴイスティックな側面が投射されていると考えられる。

f:id:T_TAPER:20140728212409j:plain

芹澤博士が覚悟を決める演技には異常なまでの緊迫感があった。子供にも分かる程の覚悟だったと感じる。

芹澤博士自身、傷痍軍人であることもその理由の一つである、というか戦争経験者のリアリティーののようなものを感じる。

f:id:T_TAPER:20140728212412j:plain

『ゴジラ』の主人公はある意味で芹澤博士だったのかもしれない。あまりにも強烈なキャラクターだった。

 

 

 

しかし一方で、悪しき日本の風習を喝破するかのようなシーンもある。国会の委員会でゴジラに関する報道管制を敷こうとする議員に真っ向から反対する女性議員である。このシーンは見ていて実に気持ちよかった。おそらく社会党をイメージしたのだろうが、なかなか珍しい感じに思えた。

f:id:T_TAPER:20140728212431j:plain

 

f:id:T_TAPER:20140728212330j:plain

ほとんど葬式のように静かだったゴジラ撃退シーン。今まで見てきたゴジラは一体何だったのか…

 

f:id:T_TAPER:20140728212408j:plain

終戦。挙手の敬礼。会釈の敬礼。

 

 

f:id:T_TAPER:20140728212407j:plain

 暗澹たる気持ちにならざるを得ない終わり方。ここまでやり切れない終劇も珍しい。

*1:田端雅英「なぜゴジラは都市を破壊するのか」『都市文化研究 Vol.5(2005)17頁。

*2:『東宝SF特撮映画シリーズVOL.3 ゴジラ・ゴジラの逆襲・大怪獣バラン』 東宝出版事業部、1985年。