読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

K.T.C.C

映画とか洋ゲーの冒険記です。大体端書。

黒崎輝『日本の宇宙開発と米国 日米宇宙協定(1969年)締結に至る政治・外交過程を中心に 』

書評

日本国際政治学会編『国際政治』第133号「多国間主義の検証」(2008年8月)141~156ページに掲載された黒崎輝氏の表題の論文の感想です。各章ごとに整理してみます。

はじめに

アポロフィーバー=1969年7月20日のアポロ11号月面着陸から間もない1969年7月31日
「宇宙開発に関する日本とアメリカ合衆国との間の協力に関する交換公文」(日米宇宙協力協定)締結
→日本の衛星及びロケット開発のため米国企業が技術機器を輸出することを米国政府が促進するための枠組みを整える
1970年に決定した宇宙開発計画で米国から技術導入を図る方針盛り込まれる

※以上の流れを外交史の視点から考察
目的
1/1967年、佐藤首相とジョンソン大統領が宇宙開発分野における日米協力につて協議することに合意→1968年駐日大使が申し入れを首相に提出→1970年に署名
上記の交渉プロセスはほとんど解明されていない

2/ナショナルプロジェクトとしての宇宙開発、軍事・安全保障問題に関わる宇宙開発の両側面に着目し、宇宙開発をめぐる国際政治の知見を深める
⇒特に、政治・軍事安全保障問題としての宇宙開発の要素が、如何程に日米協力に影響を及ぼしたのかを解明する
⇒宇宙開発を巡る国家間協力体制形成に関する事例研究

考察の視座

  1. 米国側の意図や関心がどの様に同協定締結に反映されたか
  2. 日本の国内政治、つまり自主開発路線の動きがどの様に日米協力へ影響を及ぼしたか


*  *  *


1 中国の核実験と宇宙開発をめぐる日米関係への影響
1950年代
欧米諸国→具体的な開発目標、強力な開発体制、多額の国家資金≒国家事業
←→
日本:1959年科学技術庁長官中曽根康弘「宇宙科学技術振興準備委員会」設置、米国との宇宙協定締結を提唱
1960年 「宇宙開発審議会」設置
1962年「宇宙開発推進の基本方針」(一号答申)
1964年「重点目標」にかんする三号答申     ⇒「平和利用」「国家事業」として推進する方針
1964年4月 東京大学 宇宙航空研究所 設置
1964年7月 科学技術庁 宇宙開発推進本部 設置

※1964年10月18日 中国原爆実験→対抗する動き

  1. 佐藤首相:平和利用で科学水準示す、3年以内に独自人工衛星打ち上げ
  2. 米国政府:第三世界への影響懸念、資本主義のショーウィンドウとして日本の技術力の優位性を示す必要
  3. 米国政府:日本国内での核武装論を警戒、宇宙開発へ日本人の目を逸らす必要性→原子力発電/宇宙開発奨励≒対日核拡散防止策

⇒1965年政治的配慮により水準に満たない日本に対し米国からの宇宙協力申し入れ(国務省)

しかし

日本政府これにうまく対応できず

  1. 明確な立場の不在:ロケット開発を巡っての「一元化」科学技術庁と、「大学の自治」文部省・東大の激しい対立
  2. ナショナリズム:国家の威信として自主開発が重要。科学者;とにかく自力で国産衛星打ち上げることしか考えてない→政府、まとめられません

一方、自民党

・宇宙開発には米国の援助必要←こだわらず成果を早急にあげたかった
∴1964年のインテルサット案件→国際通信事業での日本の権益確保を期待、米国援助打診
⇒米国政府、これに前向きな姿勢→両国の本格協議の呼び水となる


*  *  *



2.「ジョンソン・メモ」と日本政府の回答

日米宇宙協力を米国の利益とみなした理由

  1. 東アジアにおける非共産圏勢力の強化になる
  2. 日本を核開発から関心を逸らす。 ⇒宇宙協力を通じた「積極的軍縮」

必要条件

  1. インテルサットに日本を取り込む
  2. 提供技術の平和利用限定
  3. 第三国への技術拡散防止

1968年1月「ジョンソン(駐日大使の方)・メモ」佐藤栄作首相に提出
日本の対応:まず各省庁がそれぞれ検討、その後新聞にメモの内容がリークされる→国会追及
⇒回答:施設は求めない、衛星・ロケット技術援助に限定←それでも自主開発を前提


3. 日米事務レベル協議と日米宇宙協力協定の成立

最大の争点:第三国への輸出管理の問題→1969年2月、立法措置を必要としない妥協案提出
・Q/Nロケット開発のため米国から技術導入することが検討される
民間レベルでは既に技術連携の動きが進展

しかし、国防総省が難色⇒1969年7月 日米宇宙協定 締結

  1. 技術提供を許可
  2. インテルサット協定の履行

※日本国政府には宇宙開発事業団を含む

∴日米宇宙協定の成立により、自主開発路線に修正が加えられるようになる
→Qロケット開発中止⇒新Nロケット(ソーデルタロケット)開発着手
・自主開発路線を建前としつつ、米国からの技術導入が進められることとなる
1975年9月 N1一号機打ち上げ

おわりに

中国の核実験後→日本政府、ロケット自力打ち上げを政治手段と捉える⇒具体的な成果
宇宙開発の効率的推進と、自主開発路線の根底にあるナショナリズムとの葛藤
・米国の申し入れを受け入れるのに時間を要した理由
→宇宙開発体制の確立と自主開発を基調とする宇宙計画策定を、日米協力よりも優先したから

--------日米宇宙協定--------


効率的な技術導入の推進を自主開発よりも優先する、導入習得路線への転換。

※核不拡散、世界的通信衛星体制の確立≒米国の外交戦略の所産